日本人?の意識。自分の意識。

日本の炎上問題は、理性的なものではなく情動の集団的な噴出だと考えている。

コンテンツを消費した際に動かされた情動が、他に行き場なく、SNSに流れ込む。情動を乗せたテキストがさらにフィードバックをうむ。

とりあえず、これはメモ程度に。

 

自分の家族コミュニケーションを考える。大体、情動のシンクロに終始している。

純化すると、情動がシンクロしたら肯定、しなかったら否定、だ。もちろん表面上の場合もあるし、感情労働的な面もある。あまり、言語を介したやりとりはない。

 

うまく生きようとすると、理性で情動を分節して、行動をしていく必要がある。

なぜかこの手段が取れなくなっている、自分の家族。両手をもがれた人たちの絆。

そこに愛情があるとは思えない。お互いの自己実現が、お互いを縛りあっているよう。

 

情動ベースのやりとりは日本的、理性ベースのやりとりは西欧近代的と言えるのかな。

詳しいことはわからないけど、「よりよく」生きようとすると、日本的なものからジャンプする必要があると感じる。それが本当に良いのか確信はない。敗戦国の宿命?時代の流れ?

決定を先送りにしてズルズル進んでいくか、一息に跳躍してしまうか。

人生をかけた選択をしても良いのかなと思う。