毒親と儒教道徳

親子、兄弟、親類などの血縁の相互扶助の奨励は日本の日常風景だと(だった)と思う。自発性に基づく限り良いと思う。しかしそれを内面化した親からの、扶助の強要と言わないまでも、圧力を感じ続けている。

 

実家に帰ると「まともな家族」という見栄を維持することに従事する仕事が待っている。親類や近所の人たちに会いに行かねばならない。私は彼らが嫌いなのだが。

 

私は人間が嫌いなわけではない。自分の考えなどないのに、自分が優位に立てる立場から、上から目線の指導的な言葉でしか、話すような親類たち。自分の快楽の為に、相手を思いやっているポーズをとる人物が嫌いだ。

彼らは実際、優秀でも感性が優れているわけでも、優しいわけでもない。彼ら自身が、その事実を直視できないのが原因だとはわかるのだが、話すことはないし、会うと気分が落ち込む。

 

おそらく問題は「情がうつる」ことと、「村八分」への恐怖感だ。親類のルールを破ったら、彼らの和かな顔は、鬼の形相に変わるだろう。その落差、そのとても強い恐怖感によって、親類が親類としてまとまっている。

そして、理由はなんにせよ、長い間まとまっていたら「情がうつる」。

本当に厄介な問題だ。正直、母親と父親くらいは親切に接してもいいかと思っているんだけど、何故か不可分に親類一同がくっついてくる。親戚の仲介がないと、親子のコミュニケーションなど取れないという親の態度。親戚との互助が、親子のコミュニケーションなんだという態度。狡いと思う。

 

これは「五人組制度」のようなものだ。そんな制度を内面化した人たちの間に生まれてしまった。

 

権力者にしてみたら、こういうシステムは都合がいいんだろうな。でも、個人の話と社会の話を、一直線に繋げるのはやめとこう。

 

ひとまず外部へ出ることができた。生活もまぁ成立している。しかし、この先どうするべきなのか...